2013.12.3 東京での勉強会 アメリカ南西部国立公園巡り(その5) [旅]
※ (お断り)
以下の文は東京での勉強会で友人の発表した内容と
私が自分の勉強のために調べたことの両方をmixして書いています。
私の旅行記ではないことをお断りしておきます。
随分長く引っ張った今回のシリーズも今日の記事で終わりです。
アメリカ南西部国立公園巡りを終え7日目の夕方にサンタフェに到着。
サンタフェはニューメキシコ州の州都で、1607年に創設された古都です。
「アメリカの宝石」と呼ばれ、歴史的な街並みや建築物を残し
独特な食文化を持つ観光都市として栄えています。
サンタフェとはスペイン語で「聖なる信仰」という意味。
オールドタウンは2000年頃に街並みの外観を全部インディアンの土壁風(アドビスタイル)
に統一したそうです。
2013.11.30 東京での勉強会 アメリカ南西部国立公園巡り(その4) [旅]
(11月30日 午後10時43分 訂正)
所用で東京に来ています。
現在ホテルにいますが、友人から記事の補足説明の追加要請と
写真使用の場所のミスの指摘がありましたので補足と訂正をいたしました。
読者の皆様にお詫び申し上げます。
※ (お断り)
以下の文は東京での勉強会で友人の発表した内容と
私が自分の勉強のために調べたことの両方をmixして書いています。
私の旅行記ではないことをお断りしておきます。
6日目です。
メサ・ヴェルデ国立公園を見物。
Mesa Verdeとは、緑の岩台地という意味です。
アメリカの国立公園で唯一自然のものではない
世界文化遺産に指定された国立公園です。
左の写真は彫刻作品です。
アナサジ人は紀元後550年~1300年頃までこの地で生活していた先住民です。
なぜ「崖を上り下りする」姿なのでしょうね?
理由は以下の通りです。
アナサジ族は、海抜2000m以上のメサ(岩の扁平な台地)で狩りをしたり
トウモロコシを栽培したりして暮らしていましたが
住まいは敵から攻撃を受けにくいメサのすぐ下の岩の窪みを利用していたのです。
そして、家と台地の行き来はフリークライミングで行っていたというのです。
その住居がクリフ・パレス(岩窟住居)。
園内には100以上の住居跡が見られます。
クリフ・パレスは217部屋、4階建て相当の高さを持つ最大の住居跡です。
祭祀を行った場所も23見られるとか。
このアナサジ族は農耕技術も優れていてブルーコーンの改良も行っていたとか。
しかしながら1300年代後半のある日、40万人もの人々がいきなり姿を消してしまった。
遺跡には遺骸がないので、争いがあったとは考えにくいとのこと。
しかし、建物が焼き払われているので、何の為に生活跡を隠してこの地を捨てたのかは謎で
諸説があるようです。
干ばつが25年間や50年間ずっと続いたことが分かっているのでこれが最有力候補かも。
他にも人口の増加によるとか、殺し合うほどではない部族間の争いとか精霊的なものとか。
真相はどれなのでしょうね?
2013.11.27 東京での勉強会 アメリカ南西部国立公園巡り(その3) [旅]
※ (お断り)
以下の文は東京での勉強会で友人の発表した内容と
私が自分の勉強のために調べたことの両方をmixして書いています。
私の旅行記ではないことをお断りしておきます。
アメリカ南西部国立公園巡りの4日目のお話です。
ホテルからこんな素晴らしいモニュメントバレーの日の出を眺めて、さぁ出発!
出発してすぐのValley of the Gods(神々の谷)という公園です。
モニュメントバレーの続きのように感じる公園ですね。
他州でなら国立公園にでもなれそうな景観ですが、
奇観がありすぎるユタ州のこと、残念ながら州立公園にもなれないのだとか。
ジェットコースターの様なアップダウンのダートロードのドライブだったそうです。
アーチズ国立公園です。
この公園は2000を超える自然にできたアーチを保護しているそうです。
右のランドスケープ・アーチは100mを超える長いアーチで公園内で最大。
赤い砂岩台地が風化で削り取られたり、えぐり取られたりしてアーチを作っています。
どうしてこのようなアーチが出来たのか、興味がおありの方はこちらをご覧ください。
http://utah.ptfs.com/Data/Library2/publications/dc008651.
pdf#search='%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%83%96%
E6%96%AD%E5%B1%A4'
車を降りてしばらく歩かないと見ることが出来ないアーチが多かったそうです。
バランス・ロックとバベルの塔と呼ばれる奇岩。
左の写真のバランス・ロックは、スクールバス3台分もの大きさなそうです。
よくもまぁ、こんな形で上手くバランスを保っているものですね。
2013.11.24 東京での勉強会 アメリカ南西部国立公園巡り(その2) [旅]
※ (お断り)
以下の文は東京での勉強会で友人の発表した内容と
私が自分の勉強のために調べたことの両方をmixして書いています。
私の旅行記ではないことをお断りしておきます。
アメリカ南西部国立公園巡りの3日目です。
海抜1200m~2000mの高地を200キロ西に、更に200キロ北に移動し、
モニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パーク(アリゾナ州)を目指します。
モニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パークはナバホ国の中にある公園です。
「えっ、アメリカ合衆国内ではないの?」とお思いになりませんか?
米国政府からは一応独立した形になっているのです。
従って公園も米国政府の国立公園管理下には置かれず、
ナバホの人々が管理・運営しています。
公園内は一般の観光客が許可なしで入ることが出来る観光用道路と
ナバホ人が運営するツアーでのみ見学できる地域があるので、
ナバホのガイドさんのツアーを利用するのが賢明です。
車に乗ってのツアーだったそうですが、悪路のため揺れがひどく
腰の悪い人はとても耐えられないであろう・・・とのことでした。
2013.11.21 東京での勉強会 アメリカ南西部国立公園巡り(その1) [旅]
11月12日、高校の同期生が集まる勉強会に参加しました。
私にとっては今年になって2度目の勉強会、
今回の講師は私と仲良しの女性です。
5月にご主人と一緒にレンタカーでアメリカ南西部の国立公園を巡る旅をしたのですが、
その時の様子を沢山の写真と共に発表してくれました。
午後6時開始ですが、開場の午後5時半には既に発表の準備が整っていました。
開始時刻までに各自持参の弁当で夕食を済ませます。
あれ?机の上にめずらしいものが・・・
すぐに売り切れになるという人気商品の倍返し饅頭。
TBSストアで買い求めたらしいです。
その右側に控えめにちらりと見えるのは、私が持参した愛媛のお土産「ゆずっこ」。
どちらも、食後の口直しにどうぞ・・・ということでの差し入れです。
遅れているメンバーを少しだけ待って、いよいよ勉強会が始まりました。
※ (お断り)
以下の文は東京での勉強会での友人の発表と
私が自分の勉強のために調べたことの両方がmixして書かれてあります。
私の旅行記ではないことをお断りしておきます。
この青い線で囲まれたところを巡ったのです。
2200キロを6泊7日で踏破したとのことです。 体力・気力がなくては出来ませんね!
あ、日付が合わないと思われるでしょうが、1日目は出発地へ到着して1泊。
後半の5日間はサンタフェの街をゆっくり楽しんだからなのです。
夕食時にアルコール飲料を注文したら、身分証明書の提示を求められたとか。
白髪頭の老人になっても扱いは同じなのだそうです
2013.11.18 大相撲巡業松山場所(その3)
※ 前回の続きです。
中入後の取り組みの羅列でこの記事は終わります。
超手抜き記事ですがお許しのほど。
若の里と玉飛鳥の取り組みは玉飛鳥の勝ちでした。
若の里を応援しましたが、年齢には勝てないのかも知れません。 残念でした。
遠藤と常幸龍の取り組みは遠藤の勝ち。
髪の毛が伸びるのが間に合わず、まだ大銀杏姿になれない遠藤・・・この先楽しみですね。
2013.11.15 大相撲巡業松山場所(その2)
※ 前回の続きです。
十両の土俵入りが始まりました。 東の十両力士達です。
普段テレビの相撲番組では見ることは出来ませんね。
続いて土俵に上がったのはこの方です。
櫓太鼓の打分を見せてくれました。
「寄せ太鼓」、「一番太鼓」、「はね太鼓」などがあるそうです。
「一番太鼓」は天下泰平・五穀豊穣を祈るもので、清めの太鼓とも言われ
昔は真夜中の午前2時や3時に打たれていたとか。
もうじき十両の取り組みが始まります。
審判を務められるのでしょう。
元大関・出島、現在は大鳴門親方がすぐ近くに待機していました。
十両の取り組みです。
丹蔵と隆の山の取り組み・・・隆の山が勝ちました。
エジプト出身の大砂嵐と旭秀鵬の取り組みは大砂嵐が勝ちました。
黒のまわしをつけているのが大砂嵐です。
遠藤と並んで、最短出世の力士らしいですね。
九州場所では幕内に昇進しています。
2013.11.12 大相撲巡業松山場所(その1)
私のブログは殆どリアルタイムの記事がありません。
先頃文化の日に校区の文化祭の記事を更新したのが、最近では唯一のリアルタイム記事。
更新すればするほど、過去記事になってしまいます。
更新したくても出来ないままのものが山ほどあるものですから。
こんな訳ですから、日記とお考えにならずにお付き合いをお願いいたします。
一昨日11月10日から大相撲11月場所が福岡で行われていますが、
私は10月27日に相撲見物に出かけて参りました。
久々に大相撲の巡業が松山にやってきたのです。
会場になった愛媛県武道館会館10周年と
愛媛県体育協会創立90周年記念行事として開催したいと相撲協会に頼んだ結果
認めて貰ったとのことでした。
開場は午前8時からで、公開稽古や握手会などがあるようでしたが
午前11時の人気力士とちびっこの公開稽古が始まる午前11時に着くように出かけました。
会場の愛媛県武道館です。
露店で買い出しをしている力士さんの姿がありました。
どうやらたこ焼きがお好きなようですね。
さて、この愛媛県武道館は元は市の中心部の堀之内にあったのですが、
松山中央公園に移転が決まり、2003年10月に開館しました。
愛媛県産の木材、菊間瓦、大島石、砥部焼などを利用して建設されています。
県の施設なのに、松山市の土地に建っているという不思議な関係です。
当時これを決断した松山市長は現在愛媛県知事です。
すぐ近くには坊っちゃんスタジアムやマドンナスタジアムもあります。
下の写真の奥に見えるのが坊っちゃんスタジアム。
11月1日~11月21日までヤクルトが秋季キャンプを行っています。
こちらがマドンナスタジアム。 なんだか随分地味なマドンナですね。
2013.11.9 金丸座での坂東玉三郎特別公演(その2)アマテラス幻想 [幸せな暮らし]
※ 11月6日、右耳の手術後1年経過したので検診に行って参りました。
月に1度は開業医さんのところでチェックしてもらっていましたが、
大学病院は半年ぶりでした。
結果は異状なしとのことでしたのでご報告いたします。
玉三郎特別公演の続きです。
地唄舞の後30分間の休憩があり、 第二部は鼓童の太鼓演奏から始まりました。
昨年もそうでしたが、ある時は力強く、またある時は消え入りそうな太鼓の演奏に
引き込まれてしまいます。
15分間も休むことなく力の限り太鼓を打ち続けたら、かなり体力を消耗するでしょうね。
尤も、鼓童のあるメンバーが言うには1日8時間打ちっぱなしだったこともありますとか。
休憩時間が終わる頃、幕の前に大きな太鼓が引き出されました。
真っ赤なライトに照らされると、まるで太陽が輝いているように感じます。
鼓童の一人のメンバーがこの一番太鼓を暫く打ち続けていましたが、
その太鼓の音がすーっと小さくなっていくと幕が開き、
アマテラスに扮した玉三郎の姿が浮かび上がりました。
観客から歓声が上がります。
昨年は真っ白の衣装でしたが、今回は太陽の輝きを表すような色でした。
2013.11.6 金丸座での坂東玉三郎特別公演(その1)地唄舞 [幸せな暮らし]
※ 昨年は入院前日の11月1日に観た玉三郎特別公演、
今年も行われるので10月31日に出かけて参りました。
昨年の特別講演の記事はこちらですので、
比べてみるのもいいかと思います。
http://aoitori-net.blog.so-net.ne.jp/2012-12-14
昨年も今年も共に初日に鑑賞することになった玉三郎の金丸座での特別公演、
今回はどんな舞を目にすることが出来るのでしょう?
期待を抱きながら午前10時バスで松山を出発しました。
写真ではあまりはっきりしませんが、桜の葉が少し赤味を帯びてきていました。
ここを過ぎてから初めて金丸座の入場券が配られます。
毎度のことですが、一番いいA席でも座席の指定は全く出来ないので運次第なのです。
(金丸座のA席は大阪松竹座の1等席よりも1,000円高いのですが)
ドキドキしながら封筒を開けると・・・何と舞台下・正面のマス席ではありませんか!
しかもかなり前、。前過ぎもせず申し分なしの場所、今までで1~2番にいい座席です。
マス席は前に2人、後ろに3人座るようになっていますが、
後ろに当たったら身動きひとつ出来ぬ窮屈さです。
こうなったら早く並んで前側に座るようにしなくては。
バスは2時間程で琴平に到着、いつもお馴染みのお店で昼食です。
各旅行会社はそれぞれ専属のようなお店を確保しているのでしょう。
この後は各自自由行動になっているので大急ぎで食事を済ませました。
ツアーでご一緒の皆さんが席を立つ人が少ないうちにお店を出て金丸座へ向かいます。
春の金毘羅大芝居の時には人の行列が続くこの道ですが、まだ閑散としていました。
金丸座の前に着くと10人に満たない人が入り口前に置かれた縁台に腰かけているだけ。
開場まで1時間以上もあるので、私も縁台に座りプログラムを見て演目の予習を。
開場の2時頃には建物前の広場は観客で埋め尽くされ、こんな形での入場です。
2013.11.3 校区の文化祭 [季節の行事]
※ 今日は文化の日、毎年校区の文化祭が行われる日です。
昨年は前日の11月2日にに入院し、その日のうちに外泊で帰宅して
翌日3日に文化祭を見に出掛けて町内からの参加者の作品を見たり
カラオケの出演者の応援をしたりしたものでした。
その時の「不良患者の入院日記」の記事はこちらです。
http://aoitori-net.blog.so-net.ne.jp/2012-11-05
http://aoitori-net.blog.so-net.ne.jp/2012-12-12
例年文化の日は晴れる事が多いのですが、今年は朝方少し降った様で天気が心配。
「何とか降らないで・・・」と祈りながら午前10時半には会場に出かけました。
あれ?今年は入口に看板がない・・・でも出ている店は昨年と同じみたいでした。
餅つきのコーナーには子供たちが集まって来て、餅が出来上がるのを待っています。
今年は30周年記念とのことでスタンプラリーも行われていて、
全会場を回れば先着300名に記念品が出るとか。
どっと押し寄せた小学生たち、1つ目のスタンプをゲットし
「2階と3階にも行くように」と言われたら「え~~っ」と嫌そうなそぶり 。
私は他の人に行きわたるようにと用紙の受け取りを辞退しました。
2013.11.1 今年の秋祭り [季節の行事]
1ヵ月ほど前のことになります。
町内会の行事として一番大変な秋祭りが今年も10月6日~7日に行われました。
10月7日は松山市内の小・中学校はお休み、個人経営の商店も休みのところが多いです。
個人で開業している医療機関も「本日休診」が圧倒的に多いのです。
初めて松山の秋祭りを経験したときにはこれらのことに大変驚いた私でした。
我が町内に限らず、どこも毎年お神輿の巡行をどうしようか?ということが大問題になります。
子供の数が少ないので、どうしても大人がお神輿を担がなくてはいけないのですが、
参加できる大人は70歳を過ぎた高齢者がほとんど。
ある人は腰痛、ある人は手術して間がない、またある人はペースメーカーを装着している、
ある人は足を怪我している・・・こんな状態なのです。
こんな人達でもお神輿を担げると町内会の役員さんたちは考えているらしいのですが、
責任者の立場からすると、とても「お神輿を担いでください」などと頼める訳がありません。
昨年は幸運なことに10月7日が日曜日だった為、働き盛りの男性もお休みで
お御輿を担ぐことに協力してくれたので事なきを得たのでした。
どうやらその記憶だけが残っていて、日曜日であったことを忘れているようなのです。
今年は7日は月曜日、仕事を休めない人が多いはずなのですが・・・。
ある町内会では先を見越して80,000円でお神輿に台車を取り付け
担がなくてもいいようにしたとか。
一方我が町内ではいくら協議しても「何とかなる」「きっと大丈夫」・・・と呑気な意見ばかり。
焦っているのは町内会長夫妻だけ(連れ合いと私)という悲惨な状況でした。
考えた末、運行当日担ぎ手が何人集まるかを見た上で、既定の人数に達しなければ
2台あるお神輿のうち古いけれど小さくて軽い方だけを巡行しようと苦渋の選択をしました。
ところが探りを入れてきたある役員さん、「お神輿を2台巡行しないのなら子供達を
参加させません」と言うのです。
勝手なものです。 まさに〇〇の心△△知らずですね
参加予定者の事前調査でも、6日のみの参加が多く、7日は空欄が多いのに・・・。
さて6日、この日は「宵祭り」と言って夜1回町内を巡行するだけでいいのですが、
日曜日だったことが幸いし、午後7時からの巡行は非常にスムーズにいきました。
子供達も提灯を片手に元気な声で「わっしょい! わっしょい!」。
巡行後子供達はジュースとお菓子で、大人たちはビールかお茶で「お疲れ様でした」。
駄目もとで解散する時に「もしも可能ならなるべく明日もご協力を・・・」
「子供たちのためにもどうぞ宜しく」と頭を下げました。
2013.10.29 忙中閑あり?(旧岩崎邸庭園&相田みつを美術館) [美術鑑賞]
肩が凝ると息子が言った某有名ホテルでの昼食でしたが、
私は「そんなところに出る機会があっても、臆せず堂々と振る舞えるようになって欲しい」
との考えもあって、この観光コースを候補リストに加えていたのでした。
地方都市育ちの場合、なかなか機会を作ってやることが難しいのですが
何事も経験させておくことは大切ですから。
午後の観光は旧岩崎邸庭園から始まりました。
東京へ来ることも結構ある息子ですが、上野界隈も不忍池も初めてだったようです。
蓮の花が美しい頃にも見せたいところです。
旧岩崎邸庭園、私は1度訪れているので少しは説明してやることが出来ました。
旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱財閥3代目岩崎久弥によって建てられました。
洋館と撞球室は英国人ジョサイア・コンドルによって設計されたもので、
現存するのは洋館・撞球室・和館の3棟です。
現在はこの3棟とも重要文化財に指定されています。
木造2階建・地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅で
近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。
岩崎家の迎賓館として用いられたそうです。
下の写真は洋館の南面ですが、1階の右端に少し出っ張って見えるところはサンルーム。
1910年頃に増築されたものとのことです。
2013.10.26 忙中閑あり?その2(森美術館) [幸せな暮らし]
夜の東京観光をした翌日、そのまま大阪に戻るのはあまりに勿体ない感じ。
昨晩乗車した「パノラマビューはとまるくん」が11月30日がラストランと知った息子は
なんだか名残惜しそう。
午後4時台の新幹線に乗れればいいので、それまでの間で乗れるはとバスツアーの番号に
優先順位をつけ、片っ端から言って2名の空きがあるものを探してもらいました。
第一希望・・・空席0・・・あぁ、ダメか。
第二希望・・・空席1・・・あぁ、残念!
第三希望・・・大丈夫、乗れます・・・あぁ、良かった!!
六本木ヒルズの森美術館と有楽町の相田みつを美術館を巡るコースに当たりました。
どうやら不思議なご縁に導かれたようです。
何故なら森美術館で行われている六本木クロッシング「アウト・オブ・ダウト」展には
高校の同期生のお嬢様の作品が展示されているのですから。
多分息子と同世代のはず、いい刺激を与えて貰えることでしょう。
わくわくしてバスに乗車しました。
このバスのナンバーを見てビックリ。 111です。
昨晩乗ったのは112のナンバーでしたから、
世界で2台しかないバスの両方に乗ったことになるではありませんか。
バスの内部です。パノラマビューというだけあって窓が大きいですね。
またシアターフロアー仕様になっていて後部座席に行くほどフロアーが高くなっています。
上の写真ではあまりはっきりとは分かりませんが、当然座席も高くなる訳です。
この写真で分かるでしょうか?
2013.10.23 忙中閑あり?(東京の夜を楽しむ) [幸せな暮らし]
先月末のことです。
職業教育訓練事業参入のお手伝いが一段落した頃、
恒例の3ヵ月に1度息子と共に所要で横浜を訪れる時期がやってきたので
安心して出かけられると思った矢先、
予定外の試験問題を作成する必要があるとの連絡を9月27日に受けました。
9月末日までに欲しいと言われていた書類を26日に提出し終えた後のことです。
連絡があった日の午後には松山を出発することになっていて、
松山に戻るのは9月30日の朝なのに・・・。
「10月3日までに頂ければ間に合います」とのことでしたが、それでは私の気が済みません。
出発する時刻までに大急ぎで問題の草案を作り
30日に戻ってからパソコン入力すればいいところまで漕ぎつけて安心して出発。
28日は無事用事を済ませ一路東京へ。
息子が私と出掛けたい場所があると言って東京に1泊することにしていたのです。
夕方になって出かけた場所は東京駅南口。
息子が選んだのは世界に2台しかないバス「パノラマビューはとまるくん」。
このバスは2001年にはとバス創立50周年を記念して造られた特別車です。
ボルボ製B10シャーシに東京特殊車体製のオリジナルボディーを架装したものなそうです。
私はそんなことには全く無頓着なのですが、息子はしっかりと証拠写真を撮っていました。
2013-10-17 説明不足? [ある日の出来事]
※ 1か月もご無沙汰いたしました。
町内会の行事が目白押しにあったところに
ある企業が事業を新規に立ち上げるので手伝って・・・との話が
急に持ち込まれた為、ブログにまで手が回らなかったのです。
私が専門学校で教えていたことを職業訓練のコースとして
事業展開したいとのことだったのですが、
全く未知の分野なので内容から申請の書類作成まで
すべてを教えて欲しいというのでした。
職業訓練のコースとしての申請にはかなり詳細な書類が必要で
かなりの時間を要しました。
何度かに分けて行う試験問題まで提出しなくてはならないのには
私も驚きました。専門学校で教える時には必要ないからです。
ともあれ無事に書類提出できました。
提出先の係員が私が担当すると知って「名前をよく知っている」
「教え方が分かりやすいので学生に人気のある人」と言ったそうです。
あとは認可が下りるのを待つばかり。
さて、ブログを休止してすぐ、町内会では敬老の日のお祝い品の配布がありました。
75歳以上の方達にお渡しするのですが、少し前までは何とティッシュペーパー1箱だけ 。
これでは余りに貧弱だし、お祝いの品としてティッシュペーパーはいかがなものか?
昨年から予算を少し増やし、老舗の和菓子屋さんの紅白饅頭もしくはお赤飯に変えたのです。
流石老舗だけあって、味もとてもよく好評だったのですが、
中にこんなことを言ってくる方がいて驚かされました。
「あの~・・・、うちには一人分しかこなかったのですが・・・」 。
何しろ高齢化しつつある町内なので、ご夫妻ともに75歳以上という家庭も多いのです。
二人分同じものがあってもつまらないだろうと考え、
そういう場合はお一人に紅白饅頭、もうお一人には赤飯を差し上げる事にしていたのですが
確かに包みが小さいので、二つで一人分と感じられたのかも知れません。
おとぎ話ではありませんが、「大きいつづら」と「小さいつづら」なら大きい方がいいのかな?
その経験を踏まえ、今年は対策を講じました。
2013.9.16 東京での勉強会
※ 先日9月10日に上京して参加した勉強会のお話です。
東京近郊在住の高校の同期生を中心にして
2カ月に1度集まって自分の仕事や趣味についてメンバーに話しをしようではないか、
一種の異業種交流の場にもなるであろうから・・・と言う事で始まった勉強会があります。
つまり、講師は回り持ち。
第二火曜日の午後6時からと決まっているので、会の名前は「二火会」。
専門学校で教えていた時には、授業の為に夏休み等の休暇時以外は参加不可能でしたが、
今回久々に参加した私でした。
現役をリタイアしたメンバーが多くなってきているのと年齢を重ねてきた為か
話す内容も以前とは異なって来ています。
今回の演題は「人生は、明るく 楽しく そして ジャンプ!」。
出身地ではないのに岩手県のある町のふるさと大使を務めている人が講師役でした。
午後6時開催なのですが、1時間前に気の合った女子だけが近くのホテルに集まってお茶。
前日にアメリカから帰国した友人を交えて話が盛り上がりました。
彼女のお嬢さんは近々森美術館で行われる日本のアートシーンを総覧する
3年に一度の展覧会シリーズ「六本木クロッシング」2013展、
アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のためにに出品する若手アーティストの一人です。
2013.9.13 竹内栖鳳展 [美術鑑賞]
9月10~11日、東京に出かけて参りました。
主目的は、高校の同期生で2ヵ月に1度行われている勉強会に参加する為でしたが、
折角上京する訳ですので、それだけでは勿体ない。
色々な美術展が開催されている中で東京国立近代美術館での竹内栖鳳展を選びました。
私が竹内栖鳳の存在をしっかりと認識したのは、宮尾登美子さんの「序の舞」を読んでからです。
栖鳳が初めて発表した作品から始まって、晩年の作品や未完の作品、
完成した作品とその下絵などが展示されていました。
一時期、高島屋に勤務していた時代もあったようで、
彼の原画をもとに製作されたビロード友禅や当時の出勤簿、
友禅作家に原画が遅れている旨をお詫びしている書簡などの展示もありました。
元治元年(1864年)生まれの栖鳳は10歳の時に日本画を学び始め、
18歳になる少し前にこの作品・「芙蓉」を発表しています。
落款の横に17年9ヶ月との記入がありますね。
2013.9.9 本州最南端の町・串本から名古屋へ [旅]
※ 前回(9月6日)の続きです
串本から大阪に戻るのに、来た時の経路を逆戻りしたのでは芸がない、
帰りは滅多に来ることがない場所なのだから
紀勢本線、伊勢鉄道・伊勢線、関西本線を経由して名古屋に出てみようということに。
これが往路です。
紀伊勝浦の向かって左側に小さな島がある所が見えますね。そこが串本です。
新大阪から串本まで3時間11分の旅でした。
こちらが復路です。
紀勢本線、 伊勢鉄道・伊勢線、 関西本線を乗り継ぎ名古屋まで。
往路と復路で紀伊半島をぐるっと一回りする事になります。何時間かかるかな?
串本から新宮方面に行く列車は11時台には特急が1本しかありません(特急くろしお)。
それで新宮方面に向かうのですが、名古屋行きの特急南紀は紀伊勝浦が始発です。
この事が後で理不尽な事に遭遇する原因になりました。
新大阪の券売機で買い求めたら特急券が串本→新宮しか出て来ませんでしたが
始発駅から自由席に乗りたいので紀伊勝浦で下車しました。
ホームへの通路はこんな珍しいデザインでした。
那智大社、那智の滝、熊野古道散策をなさる方達が利用する駅だからでしょうね。
特急南紀には車内販売がないとの事で駅弁を買い求め、入線してきた列車に乗車。
往路の1号車はグリーン車でしたが、復路の1号車は自由席です。
2013.9.6 潮岬へ [観光]
※ 前回(9月2日)の続きです。
本州最南端の町・串本で1泊し、翌朝晴れていれば太平洋からの日の出が見られる筈・・・と
日の出の時刻(午前5時20分)に起床しました。
結果は・・・・残念。
雨はまだ降っていないようでしたが、橋杭岩もこんな感じでした。
帰りは滅多に来ることがない場所だから、来た時と同じルートを帰るのは芸がない、
紀勢本線、伊勢鉄道・伊勢線、関西本線を経由して名古屋に出てみようという事になりました。
列車の本数が限られているので、出発までに観光タクシーの1時間コースで潮岬へ行こうと決定。
チェックアウトの前に橋杭岩にさようならを。
タクシーに乗り込むと小雨が降り始めました。「昨日なら良かったですね」と運転士さん。
でも、昨日はゆっくりと過ごして大満足、
タクシー観光を思い立ったのは夜になってからだったのです。
当初は観光は全く念頭になかったのですから、雨の中を行けるだけでも良しとしましょう。
先ずは潮岬観光タワーに向かいました。
晴れていればタワーの姿はこんな風だったはずです。
タワーの前から海に向かって約3万坪の芝生が広がっています。
昔海軍の望楼(物見櫓)があったところなので、望楼の芝生と呼ばれているそうです。
雨と風が少し強まっていましたが海抜100m、360度見渡せる展望台に登りました。
潮岬灯台が近くにある事が分かります。
展望台から下の売店に下りるとこんなものを頂けました。
「また来てくなんしょ」とのことですが・・・難しいかも知れませんね。
ここから潮岬灯台まで徒歩で向かいます。